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安南のへそ

発展著しいベトナム中部の町、ダナン暮らしを経てすっかりベトナムマニアになってしまいました。ディープに書き綴ってまいります。

南の島の思い出

読書

池澤夏樹は相当な島好きのようだ。

もとよりこの作家は旅をしながら物語を紡ぐ人だから、世界のあちこちの風を漂わせた世界を私たちに送り届けてくれる。

 

中でも島を扱った作品が多いのは気のせいだろうか。

特に初期のころはその特徴が顕著である。

 

デビュー作自体がミクロネシア圏の無人島に漂着してしまったある男のサバイバル物語なのだ。

 

 

夏の朝の成層圏 (中公文庫)

夏の朝の成層圏 (中公文庫)

 

 

2年間滞在していたまさにあの地域のことなので、妙にリアルに感じながら、しかもマーシャルの自室で読んだことを思い出す。

 

今回読んだ『南の島のティオ』もミクロネシア連邦のポンペイ島を舞台にしていると言われている。最初はどこかパラオかポンペイかあのあたりだな、と思っていたのだが火山だとか石を積んだ遺跡だとかポリネシア系の避難民だとか、ああ、これはまさにポンペイのことだろうと確信した。読了後調べてみるとやはりポンペイが物語の場所であった。

 

南の島のティオ (文春文庫)

南の島のティオ (文春文庫)

 

 

 

夏の休暇を利用してミクロネシア連邦のポンペイ島とコスラエ島を旅したことがある。

ひたすら太陽の光が照り付けるサンゴ礁の豊かとはいえない土壌のマーシャルとは違って、二つの島は雨が多くどこか空気が澄んでいるように見えた。特にポンペイのメインアイランドはサンゴ礁の島ではなく、火山があるから植物が強い生命力を放っていた。

 

いや、こんな薀蓄めいたことを書き連ねたいのではない。私が伝えたいのはもっとこう、柔らかいこと。

 

この短編集は島でホテルを営む両親を持つティオという少年の目線で日々の出来事がつづられている。

それは島に居ついてしまった日本人の話だったり、ちょっとばかし小銭を稼いでそのまま鼻高々になって神の怒りを買ってしまった島の金持の話だったり、島の神のいたずらで遭難しかけたり、瀕死の少女を救うべく島の山姥のような神通力を持ったお婆さんに助けを乞う話だったり、戦時中に命を落とした日本兵の慰霊の話だったり、台風の避難民としてやってきた友達が一人でカヌーに乗って旅立っていく話だったりするのだけれど、読み進めれば進めるほど私はあの島で過ごした日々が五感を通して私の体内にあふれんばかりによみがえってくるのを感じたのだった。

 

何気ない一瞬がリアルに浮かんでくる。

 

雨上がりの森のような公園の中にたたずむ廃墟だったり(あれは旧日本軍関連施設なのかな?)

その図書館でおじさんと交わした言葉だったり、

朝友達より早く目が覚めて、ベランダで一人の時間を過ごしていたら霧の向こうから歩いてきたおじさんが話しかけてきたこととか、

またその時の湿度の高い空気だとか、

ナン・マドールの遺跡へ続く道沿いのマングローブの芽だとか

ケプロイの滝で食べたとれたてのマンゴーの噛み切れなかった繊維だとか

挙げたらきりがないけれど、そういうものが堰を切ったように流れ込んできた。

まるでしばらく使っていなかった水道の蛇口をひねった時のように。

 

もし私がこの小説を島へ行く前に読んでいたらどうだっただろう。

ただ単に純粋でかわいらしい物語、で終わっていたに違いない。

ポンペイにせよ、マーシャルにせよあの島で生活をしたことで自分に身についた何かがこの小説を存分に楽しませてくれたように思えるのだ。

 

って別に言ったことのない人にとって最高の小説になりうるので、それはあくまで私だけの感想です、あしからず。

 

最後のエミリオという友達とのエピソードは何度も読み返したくなる。

エミリオがやってきたのは文明の影響をさほど受けていない離島。彼はやや文明の恩恵を享受している島にやってきて、ティオに出会う。ティオから新しいことを教えてもらうたびに感嘆しつつも「でもこれはなくてもいいものだ」と自分を納得させるようにつぶやく。

そして彼は貧しくとも政府の援助で陽気に暮らす大人たちを「あいつらは怠け者だ」とさげすむようになる。3年もたつのに島へ帰ろうとしない。「ココナッツもそろそろ実をつける。」

島での昔ながらの暮らしのスキルを身に着けたエミリオは、ティオたちの助けを借りてカヌーを作り、一人600㎞の航海に出ていく。

 

せっかくできた親友なのに別れがあっさりしているのもよかった。

 

この短い話になんだかいろいろなことを改めて教えられた気がするし、私がマーシャルで感じていたことを代弁してくれたように思う。

 

お気に入りの小説殿堂入り。