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安南のへそ

発展著しいベトナム中部の町、ダナン暮らしを経てすっかりベトナムマニアになってしまいました。ディープに書き綴ってまいります。

語学を教えることと学ぶことについて①

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私のような語学教師にとって一番効果がある自己研さん方法といえば、やはり外国語を習うことだと思う。自分自身が未知の言語を学び、クラスに入るなり、先生につくなりして学習者の立場になることが、自分の仕事を顧みて改善させるのには最適だと個人的に考えている。

 

これまでいくつか外国語を勉強してきたけれど、私はあまりお金をかけたくなかったので独学メインで語学学習を進めてきた。それでも何回かは語学校へ行ってみたり、プライベートレッスンをしてみたりして学ぶ機会を持ったのだけど、やはりそうすると自分の教え子たちの気持ちがわかって、自分の授業の反省点や改善点が見つけられるのだ。

 

そんな経験を経て自分が強く思うのは、何もわからない段階で直接法はないな、ということ。直接法っていうのは何かというと、勉強している言語だけでその言語を教える方法のことを指す。つまり英語を直接法で教えるということは、初歩の初歩から英語だけで教えるわけ。それはそれで学習効果が大きいのはよくわかってる。だけど、何にもわからないのに、それだけで説明されたり、指示を与えられても

「・・・・」

ってな感じですわよね。

下手するといらぬ劣等感を抱くかも。もちろんそういうのをばねにして頑張るモチベーションソースになるのも理解できるけど、本当に効率がいいんだろうか?

 

実はそれが日本語教師生活10年間でずっと引っかかっていたことなのです。

 

じゃあ学習者にもわかる言語を使って(業界ではそれを「媒介語」といいます)教える関接法がいいのかというとそれも違う。それだと学習者は媒介語に依存してしまって、その言語についての知識は増えるものの、実際に話したり聞いたりする力がなかなか伸びなくなるきらいがある。

 

日本の日本学校での直接法授業や、プライベートの関接法授業、そして海外での授業を経験した今となっては、どちらの要素も大事なんだと思っている。できたら最初は媒介語を使って(教師が媒介語を話すという意味だけではなくて)授業を進めて、慣れてきたころからその割合を減らして、初級授業が始まって少ししたら完全日本語にして進めていく形がいいのかな、というのが私個人の理想。

 

まあ、実際に同じように考えている人は結構多いようで、私が昔通っていたフランス語の学校も会話メインのスクールだったから、日本語ができるフランス人の先生ばかりだった。もちろん授業の中でフランス語が9割以上占めていたけれど、細かいところで日本語が入るからこちらもリラックスして授業に臨めるので、自然にフランス語が話せる。疑問点があって、もしフランス語で表現できない場合、やはり日本語がわかる相手というのはとても助かるのだ。それに先生が日本語についての知識があると、日本語とフランス語の違いとかも説明してくれるから、勉強になる。

 

いつか私が現在行っている授業のやり方をシェアさせてもらうかと思う。

 

とにかく、そう考えると教えるこちらとしても、教え子の言語に関する知識は必要だと思う。何も話せるようにならなくてもいいのだ。例えば教え子がよくする間違えも彼らの母語の感覚から発生してる可能性も高いのだから(業界では「母語の干渉」という)そういう知識は学んでおこう、と。

 

いつも遊びに行った話とか食べ物の話ばかりなので、たまにはまじめな話をば。

シリーズ化してしまったので(笑)またつぶやく予定です。