安南のへそ

発展著しいベトナム中部の町、ダナン暮らしを経てすっかりベトナムマニアになってしまいました。ディープに書き綴ってまいります。

映画・明日の記憶と授業、そして自分の経験

テト明けの授業である日本映画を見せることになった。

もう何年も前の映画ではあるけれど、渡辺謙の“明日の記憶”である。若年性アルツハイマー病に侵された主人公とその家族を描いた小説の映画版ということで、同僚が言葉はわからなくてもいい教材になるのではという提案を受けてのこと。

 

明日の記憶 [DVD]

明日の記憶 [DVD]

 

 

一時帰国した私の実家に註文していたDVDが届いていたので、休みの間に映画を見て、授業案を作成する。

 

アメリカの書店で原作を手にした渡辺謙だが、自身白血病の闘病経験を持つこともあり、強く思い入れがあったようで自らエグゼクティブプロデューサーと主演を兼任している。しかも豪華フルキャスト

 

ダナンで老年ケアにかかわるプロジェクトだから、こういった記憶を失ってしまう病気になった人の内面や外面的に現れる症状を扱った映画はよい教材なのだ。もちろん日本語がわかる相手ではないから、通常の映画上映という形ではうまくいかないだろう。ここは日本語教師と看護師の腕の見せ所だと思う。

 

教え子たちは現役の看護師だったり看護科の先生が多いのだけれど、看護の授業をしていると経験の浅い者とベテラン層との間に知識の格差があるのが分かった(と看護師講師が言っていた)。そうなると認知症(厳密にいうと認知症アルツハイマー病は同一ではない。区別するものとしてアルツハイマー認知症という言葉が存在する)についての知識にもばらつきがあると思う。同時に、患者やその家族への配慮を重視する老年看護の立場からみても、患者本人の内面と世話をする家族の状況が描かれているこの作品から何らかの学びの機会が与えられたらと願ってやまない。

 

社会福祉に関しては北欧が先進国ではあるが、専門家に話を聞くと個人主義の背景を持つがゆえに認知症であっても下手をすると放置になるケースも散見されているという。反対に家族という単位を重視するアジア文化圏である日本、ベトナムといった国々では在宅介護がメインとなっている(日本の場合、問題があるとはいえすでに社会福祉の制度がある程度整備されてはいるけれど)。ベトナムでは当然老年介護における社会福祉制度は発展途上にある。認知症患者も精神疾患とみなされることが多いと聞く。

ベトナムの医療事情や看護師の仕事、一世帯における介護を要する病人数などの話はまだまだ尽きないのだが、門外漢である私には詳細を書き連ねる資格はないと思うのでここでは書かない(何らかの機会があればさらっとふれるかもしれないけど)。

 

仕事の話はここまでとして、個人的なことに触れさせてもらうと、家族に重病人がいるというのは決して楽な話ではない。うちの場合は母が長らく寝付いていた挙句にドカンと重病発覚のおまけがついてきてしまっのだが、まだその「重病」が予想だにできなかった10年以上前(まだ学生だった)に先輩に「家族が病気って、物語みたいね」と心無いことを言われたこともある。先輩じゃなかったら横っ面を張り倒していたかもしれない。

 

ほかにも何かの話で母のことを告げざるを得なかったときに、友達に言われた言葉に対しても心穏やかではいられなかった。

「まあ、一番大変なのは(病人である)本人だからね」

 

ごもっともである。そんなこと百も承知だけど、そういう言葉を病人の家族に言ってはいけないと思う。下手をすると病人以上につらい思いを、つらい労働を強いられているのは家族なのだ。この映画にしても若くアルツハイマー認知症を患ってしまった夫を懸命に、明るく支える妻が描かれているけれど私は彼女の気持ちが痛いほどよくわかる。ラストの樋口可南子の演技はものすごくリアルに迫ってきた。

 

映画を見た後、いろいろな思いが脳裏を巡っている。仕事のこともそうだけど、自分の経験や、大殺界かと思うような2014年末から2015年前半を経て、巡り巡ってこのようなプロジェクトに参加することになり、今この映画を見た。こうして自分は層の世界に入っていっている。その世界学ぶように進んでいる。人生とは不思議な意図に手繰られるように進んでいるのかもしれない、なんて思ったりする今日この頃である。